会社案内

パッションオブLLK 稲葉高志

市場縮小期かつビジネスモデル成熟期を迎えたリフォーム市場に身を置くものとして、またリフォーム会社を実際に経営する中で、我々は、いかに顧客獲得コストを下げられるかを日々検証してきました。

リフォーム業者としての施主支給ビジネスへの仕掛けは、リフォームブームが『モノ』から『コト』へシフトしていくトレンドを逆手に取った、いわば逆張りマーケティングで『仕組み』をつくることに 成功しました。

工事のきっかけを『空間提案』から『住宅商材』を切り口として、集客コストが上がり続ける自社の集客モデルに革命をもたらすことができました。
今までとまったく違う施主ターゲット層、違う市場で案件を受注できる『仕組み』を構築が出来たのです。

同時に、ネットで住宅資材を販売する物販ビジネスでの『仕組み』 構築も実現しました。

ここに共通するのは、低顧客獲得コストが実現しているということです。今後、ますます集客にかかわる費用は高騰していくでしょう。
これをいかにして下げ、顧客獲得コストを下げるかが、今後の我々中小企業の負けない戦略となります。

パッションオブLLK合同会社のテーマは、『仕組み化』と『限りない低集客コストモデルの追及』そして、そこに必ず必要となる避けて通ることのできない『インターネット』です。もう苦手というだけでは済まされない時代に突入しています!

進化し続けるIT時代に乗り遅れることは、ライバルに圧倒的な遅れを取ることを意味する!と考えて間違いないからです。この業界が恐ろしく遅れているだけなのです。

今後、異業種からこの業界に新規参入が増え続ければどうなるでしょうか?
ビルダーやディベロッパーは大打撃を受けていますが、リフォーム需要は堅調です。

しかし、需要があるところには新規参入企業が立て続けに参入してくるのも自然の流れ。私たちは、これから大手を含めた新規参入組と戦っていかなくてはなりません。

大きな会社と小さい会社がまともに戦っていたら勝ち目はありません。小が大にも負けない『仕組み』が必要なのです。

勝つことが目的ではありません。永続して安定した経営をしていくことが目的なのです。そして、そこにはインターネットが必要不可欠となります。

パッションオブLLKではグループ内で成果が実証された集客・販促・ツールなどを開発していければと考えております。コンサルタントやサービス会社では真似の出来ない自社で試して成果の出たもののみをリリースしていく考えでおりますのでよろしくお願いします。

5つのマニフェスト
運営会社

パッションオブLLK合同会社

最高責任者

代表社員 稲葉高志

販売責任者

業務執行社員 田中啓之

所在地

〒178-0061 東京都練馬区大泉学園町6-12-43
TEL:03-5933-2807 FAX:03-3921-4011
Email:info@l-l-k.net  URL:http://l-l-k.net/

グループ会社

株式会社ハイウィル http://high-will.co.jp/
株式会社リブウェル http://www.livewellgroup.co.jp/

主要取引先銀行

三井住友銀行 大泉支店

弊社、は1919年に曽祖父が創業した瓦専門工事業いなば屋の流れを汲む会社です。 私自身も職人の中で育ち、幼少の頃の遊び場は、瓦の下小屋でした。 木工事に技術にこだわるのも原点はここにあります。 その歩みを辿っていきたいと思います。




初代 稲葉市太郎


創業者市太郎は茨城県の石岡(現在は筑波学園都市あたり)で幼少から青年期を過ごしました。教育に熱心な家であったようです。甥に会計学では有名な黒澤清先生がいます。

曽祖父は明治41年に制定された学制の一番乗りで当時石岡でははじめての尋常高等小学校を卒業することになりました。しかし高等学校には進みませんでし た。曽祖父は古代瓦に異常なほどの興味をもたれたそうで、奈良・京都にはよく出かけたそうです。18歳のとき単身東京に赴き、宮大工の紹介で社寺瓦職人の ところへ住み込んで修行したそうです。

1919年稲葉瓦店として瓦専門工事業を創業。社寺の屋根工事を中心に営業を開始しました。




二代目 稲葉輝男


私の祖父である稲葉輝男が誕生した、大正10年1月1日ごろ(1921年)、明治以来の幕藩支配体制が揺らいで、政党勢力が進出しました。

祖父は、大正デモクラシー、震災復興を経験し、そのような大正期を過ぎて昭和12年日中戦争開戦の年に高校を卒業し曽祖父の下で働くことになりました。 18歳という年は多感な年でもありいろいろなものに興味をもったそうです。その中でも特に吉川英治の作品は寸暇を惜しまず読み耽ったそうです。それが後々の人生に大きな影響を与えることになりました。

23歳の時、昭和17年12月に召集令状が届くまでの5年間、昼間は祖父と仕事し夜は町の青年団のリーダーとして満州建国のことや治安維持法のことについて大いに議論をしたそうです。

昭和18年から2年半海軍に入り終戦をむかえるまで命を擲って米軍と戦いました。そのときかたときもはなさず持っていたのが「歎異抄」だったそうです。吉川英治の親鸞の影響を受けたのでしょう。




終戦後まもなくの板橋区建築業組合発足記念写真 昭和22年11月9日


曽祖父(当時55歳)は第一線から退き地域の建築組合設立や古代瓦の研究に力を注がれました。

祖父は敗戦後の荒廃した都市と人心に明るい息吹を吹き込むべく、衣食住の住の部分に都市の片隅である地域から復興を叫び、若干27歳で瓦友会を結成し、後に全国地域の瓦組合の礎を築いたそうです。



瓦友会発足式(中央右が二代目)昭和27年


また、祖父は瓦職人として曽祖父ゆずりで神社仏閣の瓦葺きに興味をいだき廃寺になりそうな屋根を見ては無償で修理をしたそうです。親鸞の教えである利他行に専念したのでしょうか、お金がなくて雨漏りで困っている人を見ては、率先して修理をしてあげ、あるとき払いの催促なしです。そのような祖父を持った私は幸せであり尊敬しております。

昭和44年のことでした。祖父の念願であった宮造り屋根の本格的な建造物(菊池邸)の新築を施工しました。この工事は3年に及ぶ長期なものとなりました。現在、こちらの建造物は埼玉県に移譲されており、年に1度開放されております。その際には多くの外国人が見学に訪れております。




この現場で運命的な出会いがありました。 祖父が佐々木宮大工の技術に感銘を受け師事。 10年後に木工事集団として建設業者となるまでの礎となります。




三代目 稲葉悟


叔父は大学卒業と同時に祖父の片腕として職人の世界に入りました。はじめは母校の社会科の教員として従事しようと思っていたのですが、大学でサッカーをしていたほどの体育会系でしたので、職人を束ねた世界に身をおいてどこまで自分のリーダーシップを発揮できるか試したかったのでしょう。また叔父は非常に正義感が強く有り余る精力を地域のボランティア活動に向けるようになりました。仕事が終わるとすぐに叔父が結成した社会福祉団体に多くの青年を集め、町の発展や地域の活性化に心血を注いでいました。いつしか多くの人から信頼を集め、大きなパワーとなり政治の道へ進むことになりました。 36歳という若さで区議会議員に初当選をして、49歳で都議会議員になりました。

叔父が政治の道へ進んだため、叔父の弟であった私の父が祖父の後を継ぐ決心をしたそうです。26歳のときです。

父が会社に入り、しばらくして会社は大きく変わりました。転換期を迎えます。

昭和57年、父が31歳のときに今までの瓦専門工事店から建築総合請負業に事業を拡大いたしました。そして二代目の祖父は65歳で現役を退きました。 社名を「加和楽建設株式会社」と改め新築工事を専門にスタートを切りました。

改組後初めての新築工事は私も良く知っている父の先輩のお宅でした。父はこの先輩には足を向けて寝ることはできないといつも言っておりました。 それもそうでしょう。父が新築の右も左もわからない時に、「俺の家でしっかり木造住宅のノウハウを覚えておけよ!」と言ってくれたそうです。父はこのような先輩をもてた幸せと利他行を実践している先輩に心から感謝しておりました。その工事を皮切りに親戚・友人・知人と新築工事を本格的に施工していくこととなりました。




四代目 稲葉高志


幼少の頃より、たくさんの職人に囲まれて育っていたので、この世界に入ることはごく自然な流れだったように思います。中学の頃から休みとなれば、仕事を手伝うようになりました。当時は祖父が現役でしたので材木を運んだり、屋根に登っていろいろ教えてもらったり、時にはこっぴどく叱られたりと祖父からは、仕事に対する誇りと面白さを教えてもらったように思います。いつかは祖父のようになりたいなぁと、子供ながらに惹かれていきました。

大学中退後、大手のディベロッパーでの不動産販売を経験後、私は父の経営する工務店に就職することになりました。入社した頃には、祖父は現役を退き父が経営する総合建設業となっておりました。

難易度がかなり高く職人さんに怒られながらやっていたのをよく覚えております。祖父は職人タイプの人間でしたが、父は経営者タイプの人間でした。大工の専門学校に通いながら、不動産、新築、そしてリフォームとさまざまな仕事を経験させてもらいました。

やはりそれぞれの仕事に難しさや面白さがあり、同じ住宅関連の仕事であっても考え方やノウハウがずいぶん違うんだなぁと実感しました。中でも私がもっとも面白いと感じた仕事はリフォームでした。


ついにリフォーム店として独立しました。


自分の力を試してみたかったというのが正直なところです。とはいうものの、お金がなかったので借りた事務所はバラックというか、馬小屋みたいなところでした。(東京にもそんな物件があったのです。笑)

リフォーム事業と住設機器販売事業を行なう会社として、2003年5月に個人事業から念願の法人組織へ改組。株式会社リブウェルの設立です。

日々の営業活動をしていて私には、いつも素朴な疑問がありました。どうして、こんなに住宅業界は不透明でわかりにくい業界なのか!と。

日本は他の先進国と比較しても流通体系が非常に複雑で製造者から一般の施主へ商品が渡るのに何社もの中間業者が入りマージンを取るという体系となっています。 リブウェルはこの流通体系を打破すべく、とりわけ住まいを構成する建材の中でも金額的なウェイトの高い住宅設備機器の流通を変えよう!という目的で住設販売部を設置しました。そして業界でも先がけて「施主支給」というシステムを採用しました。

いくつもの商社に相談し、最初は門前払いでだった交渉も情熱が伝わりお取引していただける商社が出来てきました。これにより住まいに関わる商材に関してマージンがよりかからない形でご提案が可能となったわけです。この体制を取りいれている施工会社は、現在もまだ少ないと言えるでしょう。

2004年3月、バラック小屋の事務所から板橋区前野町の倉庫付の事務所に移転、その後、より多くの方に「施主支給」という手法を知っていただきたいという強い思いと共感していただける方のバックアップもあり、「施主支給」というシステムを本格的に体系化しよう、そして流通を変えよう!という強い決意が生まれるようになりました。

よりスピーディーに広く認知したいという思いがあり、そのための手法としてインターネットしかないという確信がありました。webマーケティング機能と流通機能を持ち合わせた会社がこの業界に必要だという確信から2004年10月、株式会社ライブウェーブを設立。株式会社リブウェルより住設販売業務(卸売)を移管しました。

限りなく経費を抑えた形でインターネットに特化する戦略を立て、いくつもの仮説を立てながらトライ&エラーを繰り返し改善を重ねるながら実績つくりをしていくことになりました。確かに経費は今までのようにかからないモデルでした。

しかし、「施主支給」というシステムは、インターネットならではの弊害もあり、(インターネットという顔の見えない相手に高額なキッチンやバス(お風呂)を購入するだろうか。少なくとも私は不安だと思ったのです。顔が見える実店舗が必要だと!)デザインリフォームと施主支給の相談にお気軽にご来場いただける住まいの相談サロン『Doux Studio』を加和楽建設株式会社と共同で東京都練馬区大泉学園町にオープンしました。




株式会社リブウェルが運営する施主支給サイト『 住設・建材百貨店 』がさまざまなメディアに 取り上げられたことや市場自体の盛り上がりもあり、会員数も1万人を突破。施主支給(システムキッチンやユニットバス販売の分野)のリーディングカンパニーとして不動の地位を築くことが出来たという実感をもてるようになりました。

本業であるリフォーム事業は「施主支給」を受け入れるモデルへ転換し斬新な切り口で営業活動ができるようになりました。施工のノウハウについては、加和楽建設株式会社で学んだものであったのですが、そうそう真似のできるものではありません。4年間、加和楽建設の施工ノウハウを活かし木工事の技術力とデザインの融合を目指し頑張ってきましたが、毎日が勉強です。

私は、私は1919年より長年に渡り培ってきた体制に、この「施主支給」の要素をなんとかして導入してみたい。そう思うようになりました。

そこで12月に、株式会社リブウェルのリフォーム事業部を私が学んだ加和楽建設建設のリノベーション事業部へ統合し新しいリフォームの形を提案しようと決意しました。加和楽建設株式会社という社名も自分の生涯を住宅に捧げる覚悟から自分の名前『高志』にちなみ、高い志をもつ会社でありたいという願いを込め『株式会社ハイウィル』と命名、新たな一歩を踏み出しました。

株式会社リブウェルは「施主支給」を通じてお客様に必要とされる住まいのトータルアドバイザーを目指し、更なるサービスの充実を目指し、住宅・建材百貨店をショッピングモール化し、市場開放を決意。

2008年8月から日本全国の住宅設備・建材だけでなく、照明器具・家電・家具なども取り入れた家一軒分をネットで手に入る時代へと道を切り開いていく所存です。


2007年4月(平成19年)には 株式会社ハイウィル、株式会社リブウェル、株式会社ライブウェーブの3社が出資した合同会社 [パッションオブLLK]を設立。日本初の施主支給ビジネスのノウハウを全国の企業へ提供する「施主支給ビジネス活用支援センター」を開設しました。現場を知る私たちだからできることにこだわり、施主様にも企業様にもメリットあるサービスを展開しています。

私は“住まいづくりは、生き方づくり”をモットーにしています。物理的なモノとしての家ではなく、家族みんなが生活する場としての住まいをご提供していきたいのです。そのために必要なのは、どんどん出店して多店舗化していくことでも、単純に売上を伸ばしていくことでもありません。お客様の要望をお聞きして住まいづくりがご提案できるスタッフ、すなわち人づくりが私の仕事だと考えています。

曽祖父から祖父へ、祖父から父へ、そして父から私へ言い伝えられてきた言葉があります。「忘己利他」という言葉です。自分の利益を考えず、お客様の利益に徹することが最終的には自分の生きがいに通じるということ。生きているという実感がそこにあるんだ。と教えられてきました。逆に考えれば、お客様に対する姿勢が自分の人生の成長の糧なのだと思います。

これからも自然体でお客様に接していける会社を目指して従業員と共に日夜研鑽していきたいと思います。